福成寺は、1538年の室町時代に京都の嵯峨清凉寺を復興した円誉堯淳上人によって、香り高い赤栴檀木の釈迦牟尼仏を清涼寺より移し本尊としたため、堺の釈迦堂と言われてきました。円誉堯淳上人は1530年に嵯峨清涼寺に入り、十二時の念仏を始め浄土宗に改宗した人物であり、舎利塔や堂宇を再建した高僧です。
福成寺に現在の御本尊を嵯峨清凉寺より堺に移した理由を、寺伝「福成寺縁起」によりますと、
御尊像 毎夜毎夜 堯淳上人に告げて曰く
「ここを行くこと遠からず南海の辺に、吾有縁の地あり 速やかに吾をかしこに移すべし」と佛勅しきりなり
よってこの御尊像をおい奉り 浪花の浦を打ちすぎ 当国堺にて動かせ給わず
ここぞこれ聖居の地ならんと 一宇を開基し
不断念佛修行ましまして三国伝来発遣の教主と仰がせたまいけるに四衆郡集し忽ち四門を開き
正覚山菩提樹院釈迦堂福成寺と号して七堂伽藍を造立す
とあり、御本尊釈迦牟尼仏から発せられた堯淳上人への夢のお告げが、御本尊の来歴と福成寺の縁起であります。
境内に堺の鉄砲年寄(堺の鉄砲鍛冶を取り締まる役)を勤めた堺鉄砲鍛冶芝辻理右衛門入道道逸の墓があります。芝辻理右衛門は、徳川家康が豊臣家を破った大阪の陣において、徳川家康から大坂城攻撃の大砲製作を命じられ、一貫玉(約4kg)の弾丸を放つ事が出来る大砲を製作し、
大坂城攻略に貢献した人物です。この大砲は現在靖国神社(遊就館)に保存されています。
福成寺は、堺が灰塵と帰した大阪の陣による戦火や第二次世界大戦時の堺大空襲等、幾多の困難を乗り越え、有難いことに御本尊の釈迦牟尼仏は清凉寺より移された当時のまま、温和なお顔で私たちを見守られ続けておられます。
御本尊は釈迦牟尼如来です。広々として静かで厳かな雰囲気です。年間法要や皆様の法事を執り行います。
最大で約100名程お入り頂けます。法要や法事が始まるまでお待ち頂いたり、法事後の御会食にお使い頂けます。
管理の行き届いたお庭です。季節ごとにお花が咲き、皆様にお楽しみ頂いております。
きれいに整備され、段差が無く歩きやすい墓地です。
皆様の家墓、個人墓、宗旨宗派関係無くお入り頂ける合同納骨墓があります。
駐車場は最大12台程度停める事が出来ます。
名称 | 正覚山 福成寺 しょうかくざん ふくじょうじ |
---|---|
宗派 | 浄土宗 |
総本山 | 京都東山 知恩院 |
所在地 | 大阪府堺市堺区錦之町東2-2-30 |
電話 | 072-232-2797 |
FAX | 072-232-2797 |
住職 | 松壽 春道 (しょうじゅ しゅんどう) |